しのばずくん便り

不忍ブックストリート一箱古本市について 随時 情報を発信します!

助っ人〈不忍マピヨン〉のMAP配りの日々(5)

「第五夜・本郷の中心で古本と叫び続けたら、上野で名女優に遭遇した」


本郷三丁目のコーヒー戦争は続いている。
地下鉄の本郷三丁目駅を出て、東京大学へ向かう路地に、名曲喫茶「麦」がある。
老舗だ。数年前、向かいにチェーン店のカフェができてから、コーヒーを値下げしたらしい。


友人いわく、400円ちかくしていたコーヒーが、250円になったそうだ。
看板をみるとそのとおりだ。ものすごい下げ幅である。
体力を消耗して、閉店したりしてないだろうかと案じていたが、地下へ下りドアを開けると、そんな心配は吹き飛んだ。


まず非常に騒がしい。静かなイメージがあったのだが。名曲喫茶なのだ。


この店は階段を下りて、左右に部屋が分かれている。
まず席を探すが、右の部屋も左の部屋も、Yシャツ姿のサラリーマンでいっぱい。
話し声で音楽が聴こえない。しかも煙い。
喫煙可能な喫茶店として、分煙のチェーン店に対抗しているのだろう。


目に入ったピンク電話のまわりに、チラシ類がおいてあり、ポスターも数枚貼ってある。
古本市のマップも置いていただけるだろうか。


12時5分。お昼時は外してくるべきだった。
しかしマップを配って回る身には、ありがたいとも思う。
満席をいいことに、いきなり「お忙しいところ恐縮ですが、古本市のチラシを」と、アニメ「あたしんチ」のお母さんに似ている女将を呼び止める。


「いいですよ、ここに置いときますね」とピンク電話の脇にドンと置いてくださった。
ついでに「ポスターも」とお願いすると、「後で貼っときます」と即答された。
戦場なみの忙しさに、まぎれさせていただいたようだ。


お礼を述べ、今度ゆっくり食事しにきますと頭を下げて店をでた。
再訪は本気であるが、我ながらずうずうしくなったものだと、感慨にふけりながら本郷通りへ出た。


次はパンの店「明月堂」である。「麦」から徒歩3分ほどで到着。
以前、店構えに惹かれてはいったら、素朴な味のパンが安い値段で供されていた。
機会があれば寄ることにしている。
不忍ブックストリートの近所で、地元密着のイメージがあったので、トライしようと思った次第。お付き合いでなくパンも買うつもりだった。


店に入り、どれにしようか迷った挙句、パンを6個買いこむ。690円也。
夕方とは違い、焼きたてのものが次々でてきて、ありがたい。
客も途切れることがない。レジの手があくのを待って、マップの件を切り出す。


奥から責任者らしい、シンクロナイズドスイミングのコーチ似の女性がでてきて、「いいですよ、ここが目立つかしらね」と、パンの棚の真ん中に置いてくださった。
思わずトングではさんでしまいそうな特等席である。ここでもマップのサイズが物を言う。


恐縮しつつ、壁に文京区のイベントらしきポスターがあるのをいいことに、古本市のポスターまでお願いしてみる。


パンを食らわばポスターまで。


「いいですよ、後でここに貼っておきます」と、壁の真ん中にポスターを当てながら快諾してくださった。
かきいれ時に申しわけなかったなと思いながら、東京大学へ向かった。


赤門をくぐり、左に折れると、UTCafeというオシャレなカフェがみえてくる。


一昔前までは、どの大学にもこうしたカフェはなかったはずだが、校舎の建替えや改装にともなって、ここ数年、驚くほど洒落た店が出現している。
こちらも、そうした店のひとつである。


安藤忠雄設計の建物の、西側の角に入居している。
店員さんの平均年齢は高めで、愛想は少なめである。
店内の壁際にラックがあり、武道のイベントのチラシが一種類おいてあるのを確認する。
古本市のマップも置いてもらえるかもしれない。


紅茶をテイクアウトし、紙カップで出てきたそれを受け取りながら、330円は「麦」より高いことに気づく。安藤忠雄代だろうか。
緑のパラソルが立てられた外の席で、明月堂のパンと紅茶で昼食にする。


カップを捨てがてら店に戻って、カウンターでマップの件をお願いしてみる。
5人いる女性店員のなかの、リーダーらしき人が、「いいですよ、そこの棚においてください」と、さっき確認したラックを指しながら即答なさる。
国立の大学だから、敷居が高いかと思ったが、すんなりOKだった。


この建物の中央には、カードリーダーを操作しなければ入れない閉鎖的なラウンジがあって、しかし全面ガラス張りという、不思議な状況になっている。入室資格は不明だ。


構内を突っきって、東京藝術大学を目指す。
歩きながら、UT は the University of Tokyo かと、遅まきながら気づく。


途中、購買部によって、セロテープを買う。105円也。
先刻の明月堂で、もしセロテープを持っていたら、その場で私がポスターを貼ることができ、お手間をとらせることもなかったと思ったからだ。


弥生門をでると、弥生美術館と竹久夢二美術館が目に入った。
マップをお願いしてみようか。古本市には画集なども出品されることだし。


展示は見たいが時間がない。ドアのガラス越しに、ロビーにチラシ類がたくさん置いてあるのが見て取れた。
思い切ってドアをあけ、受付の女性に、「展示をみずに申しわけないのですが」と切り出す。「いいですよ、お預かりします」と受け取ってくださった。


美術館に置いてもらえたのは初めてだったので、うれしかった。


地図をたよりに歩いて、東京藝術大学へ近づいた。
すると、角に「桃林堂」というのれんが目に入った。
いかにも老舗の和菓子屋である。どこかで名前を聞いた気がする。
上品な店構えにひかれて入ってみた。地域密着の雰囲気もある。


数奇屋づくりのお店は、まず喫茶スペースが目に入る。入り口の脇に棚があり、「地域雑誌 谷中 根津 千駄木」、通称「谷根千」が売られている。これはいけるかもと思い、なにか買おうとショーケースに向かった。


フキ、レンコン、イチジク、レモンといった野菜や果物を、砂糖漬けにしたお菓子が目に付いた。五智果(ごちか)という。めずらしいのでこれに決めた。840円也。


例のごとく、「折り入ってお願いが」と、フィギュアスケート武田奈也似の店員さんを呼び止める。
「あー、多分いいと思います」と受け取ってくださった。礼を言い、多分いいことにして足早に店を出た。


やっと東京藝術大学に到着。
大学が運営する美術館のそばの新しい建物に、誰でも入れるコミュニティスペースがあるのを知っていた。そこなら置いてもらえて、古本市に興味がある人がたくさん来そうだと思ったのだ。


休憩所として、イームズのメッシュのチェアが用意されている。
ひとつの丸テーブルに、椅子が3脚。これが2セット置いてある。
奥のテーブルには既に老婦人が二人。あいているテーブルに陣取り、マップの整理をした。


そこへ、グレーと黒のワンピース姿の女性が入ってきた。
竹下景子だ。はっきり見えなかったが、瞬間的にそう思った。


彼女は壁ぎわの自動販売機で、カップのコーヒーを買うと、なんと私の隣に腰をおろした。
じろじろ見ては悪いと思いつつ、さりげなく観察する。


上等な黒のバッグに、5センチ四方はありそうな「K」のイニシャルのアクセサリーがついている。景子のKにちがいない。
時計もペンダントも、テーブルに置かれた眼鏡も、宝石がキラキラと輝いて目立つ。服も黒いパンプスもブランド物だろうか。


重そうな本を取り出し、熱心に眺めている。肩までのボブヘアで、少しうつむくだけで顔が隠れてしまう。サングラスよりこの髪型のほうが目立たなくてよいのだろう。


本は美術館で開催中の展覧会の図録だった。「皇女たちの信仰と御所文化・尼門跡寺院の世界」である。表紙の扇子や十二単の写真が目に入った。仕事に関係があるのだろうか。
あまりの真剣さに、長年芸能界で活躍を続ける人は、日ごろの修養が違うのだなあと思った。


竹下景子といえば、2008年4月から、NHKラジオ「新日曜名作座」に出演している。西田敏行と二人だけで何役もこなすオーディオドラマである。
1957年から放送された同種の番組では、森繁久彌加藤道子が出演していた。歴史ある名番組の後継者なのである。
4人とも3役も4役もこなし、違和感がないのがすばらしい。
私は先代の出演番組の再放送から聴きはじめ、いまも毎週日曜の夜、聴いている。


これは一言伝えたい。楽しみに聴いていますと。
しかし話しかけるのは、プライベートを邪魔することになるし、まわりの人に聞こえて騒ぎになると申しわけない。
あいにく手持ちの紙が、無地のルーズリーフしかないが、それに手紙を書いて渡すことにした。
渡したらすぐ立ち去る算段で、さきに古本市のマップの交渉をすませよう。


席を立ち、カウンターの女性にマップをの件をお願いしたら、意外にもお断りだった。
「藝大の関係者のチラシしか置けない決まりになっています」とのこと。
たしかに、藝大のアートプラザにチラシを置いてほしい輩は無限にいるだろう。
置けないはずだ。ゴミ箱の上に4、5種類おかれたチラシは、関係者のものだったのだ。


久しぶりに断られて残念だったが、もう一つやるべきことがある。


気を取り直して、さっきまで座っていた席に引き返した。
まだ彼女は図録を見ている。
テーブルに、四つ折りにしたルーズリーフの手紙を置いた。
びっくりして顔をあげた彼女は、たしかに竹下景子だった。


私は精いっぱい笑顔をつくって目礼し、すぐに自動ドアをくぐって外へ出た。
振り向かなかった。


振り向けば何か会話ができたかもしれないが、人目についただろう。
東京では芸能人をほっておいてあげるのよ、昔だれに言われたのだったか。


手紙の最後、署名の上に、「竹下さんに全部」と書けばよかったな、クイズダービーのことをすっかり忘れていたよ、と悔やみつつ家路についた。


(後日、竹下景子は、かの展覧会の音声ガイドをつとめたと、彼女の公式サイトで知った。)