しのばずくん便り

不忍ブックストリート一箱古本市について 随時 情報を発信します!

助っ人〈不忍マピヨン〉のMAP配りの日々(9)

「第九夜・青山の中心で古本と叫んで、高円寺でルネッサンスと叫ぶ」


ユトレヒト」という古書店が有名らしい。
ネットで調べたところ、予約制で少々敷居が高そうだ。
その店が青山にギャラリーを出したらしい。
NOW IDeA by UTRECHTという。


青山に行く用事があったので、足を伸ばしてみた。
Yoji Yamamotoビルの隣という、一等地にある。


いざたどり着くが、あるはずのビルに看板が見当たらない。
古い建物で、入り口は1階、駐車スペースの奥にある。
ポストにも店名がない。


ドアは開けはなしてあるので、中に入る。
2階だったはず、と木製の階段をあがると、目指す店はあった。


本や雑誌がたくさん並んでいる。洋書が多い。
奥の部屋では服や雑貨の展覧会が催されていた。さすが青山といった雰囲気である。
客は4、5人いる。迷わず来られたのだろうか。常連か。


笑顔を絶やさない、眉の濃い男性店員にマップのお願いをした。
チラシ類は入り口の小さいテーブルに2、3種類しか置いてなかったが、「あのテーブルに置きますね」と快諾してくださった。


お店は古本市のイメージと少々違う気がしたが、本は本で、よいのだろう。


そういえば、青山は銀座とは違う。
オシャレな街なのに、古本とためらわずに言える。意外だった。
そうだ、青山は骨董の街、古着の街でもあった。守備範囲が広いのだ。


失礼なことに、オヨヨ書林に行くのを忘れてしまった。
不忍ブックストリートから移転された。青山といえばオヨヨ書林なのに。


同じ夜、高円寺を再訪する。
前回果たせなかったことのため。
ずばり、「ルネッサンス」という名曲喫茶にいくためである。


中野の「クラシック」という名曲喫茶が、店主死去により閉店したのは20055年のこと。ミルクがマヨネーズのふたに入ってでてくる、水はワンカップ大関のびんに入って出てくるという、知人の体験談に恐れをなし、行く勇気がなかった店。
でも店構えが好きで、外から写真を撮ったことはある。


ある日、店の前を通りかかると、ドアに張り紙をみつけた。
店主急逝により、閉店したとある。入っておけばよかったと後悔の念がよぎった。


その後、ドアノブや、外壁を覆っていた装飾がはぎとられ、ファンが持ち去ったのかと思っていた。しばらくすると建物そのものが取り壊されてしまった。


今回、一箱古本市のマップ配りのため、ネットで喫茶店を調べていたら、クラシックの元店員さんが高円寺に店をだしたというではないか。
その名も「ルネッサンス」。
クラシックの部材とLPを使っているとのこと。
ドアノブや装飾品が取り壊し前になくなったのは、このためだったのか。


中野のカタキを高円寺で。
高円寺2度目の今夜は星空だ。もう道にも迷うまい。


ルネッサンス」の黒い文字が、黄色い看板に光っているのが見える。
地下に下り、店に入ろうとして手が止まった。
あのドアノブだ。クラシックの。
まさか再会できるとは。


にぎりしめてドアを押すと、重厚な木の空間が広がっていた。古びた匂いがする。
誰の曲だろうか、オーケストラが鳴り響いている。
薄暗いなかTシャツ姿の男性客がひとり、目を閉じて聞き入っている。


カウンターで紅茶を注文する。先払いで400円也。
食べ物の持ち込みは自由とのこと。クラシックと同じだ。


壁ぎわの席に座る。天井が低く感じられるのは、この席が一段高いからか。


紅茶のミルクは銀色のピッチャーで出てきた。
なぜだろう、安堵のなかに一抹の失望を感じるのは。


本も置いてあるが読めるほど明るくなく、写真集をめくったり、隣の席に座ってみたりした。椅子のスプリングがボロボロで、尻餅をついたようになった。これぞクラシックだ。
通りかかった店員さんと目が合い、笑ってごまかした。


後から来た女性客のたばこが煙たくて、退散することにする。チラシ類はレジに1、2種類あるようだが、受け取っていただけるだろうか。


バックヤードに声をかけ、もうすっかり慣れたお願いをする。
ストレートの黒髪が美しい店員さんが、いいですよと、すぐレジの背にマップを持たせかけてくださった。
ライトがあたり、客からよく見える場所である。ありがとうございます。
よくよく礼をいい、再びドアノブをしげしげと眺め、地上にでた。


おなかがすいた。
次の目的地で食事にしよう。


中野にあるカフェにはすでに足を運んだ。
しかし「カルマ」に行かなければ、来世のカルマはコワイことになりそうだ。


中野駅の北口、歩いて1分もかからないような線路沿いにある。


思ったよりオープンな明るい雰囲気の店。もっと民族調の店作りを予想していたのだが。
南ヨーロッパの郊外の、地元の人が集うカフェといった感じ。


チラシは専用のテーブルに、たくさん置いてある。
最近の私は、お店に入ったら、チラシの有無を確認し、ポスターを貼るスペースまで検討してしまう。職業病か。いや職業ではない。病には違いないが。


ナシゴレンを注文する。


目の前を、オレンジ色のラインをまとった中央線の電車が走っていき、驚く。
道一本へだてて、中野駅のプラットホームなのであった。


後ろの席では、黒いTシャツ姿の若い女性がふたり、なにやら作業をしている。


自分の席のわきの本棚に、斎藤隆介作、 滝平二郎絵の「モチモチの木」を見つけた。
なつかしい、大好きな絵本だ。何十年ぶりだろう、手にとってみる。
切り絵がおそろしいほど迫力があって、美しいという印象は変わらない。


主人公はこわがりで、ひとりで雪隠にもいけない5才の豆太。ある雪の夜、はらいたで苦しむじさまのために、ふもとの村まで医者を呼びに走る。わらじが切れて、はだしになる。冷たくて足が切れて血がにじむ。もしも大好きなじさまが死んでしまったら、ひとりぼっちだ。
このシーンをはっきり覚えている。読んでいる私まで、こわくて痛くて寒くて泣きたくなるのだ。
じさまが助からなければ、きっとこの本を嫌いになっていただろう。


でてきたナシゴレンは、いわゆる焼き飯だった。
びんに入った水を、銀色に輝く金属製のコップに注いで飲んだ。


頭にバンダナを巻いた女性店員は、ナシゴレンを作り終えると、客の女性と話し込んでいる。
オーラの話をしているらしい。カルマでオーラ。似合いすぎる。


そろそろ出ようと席を立つと、ふと、後ろの席のテーブルに目がいった。
そこには「民主青年同盟」と題する新聞の山があった。
二人はそれを送る作業をしていたのだ。


民主青年同盟、略して民青か。ミンセイ?!
脳内のデータベースが検索に走る。学生時代にまでさかのぼる。
学生運動の派閥にあったはずだ。略称しか知らなかった。
かなりの衝撃を受ける。学生運動とは怖いもの、近寄ってはいけないものだったから。


なぜ黒いTシャツかも不明だ。
若い共産党員が増えているというような記事を、どこかで読んだような気がする。
関係があるのかわからない。


わざと荷物を席に残して、支払いを済ませた。1200円也。


古本市のチラシを、とお願いして、ポスターまで受け取っていただいた。
席に荷物をとりに戻り、もう一度、例の新聞の山に目をやる。
やっぱり民主青年同盟とある。


ごく普通のうら若き女性ふたりと学生運動が、この2009年の東京で、どうしても結びつかない。
大学のキャンパスを埋め尽くしていた立て看板も、もうないのだ。
中野のカフェ「カルマ」ならありえることなのか。実際そうなんだけど。


なんとも不思議な気分で家路についた。


滝平二郎氏の訃報に接したのは20日ほど後のことだった。2009年5月16日死去、享年88。合掌。)