しのばずくん便り

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光源寺

光源寺の歴史は、実に400年以上にも及びます。天正17年(1589)神田に創建され、江戸初期の慶安元年(1648)に現在の地に移転。正式名称を「天昌山 松翁院 光源寺」という浄土宗のお寺です。
移転の約50年後、御丈2寸6尺(約8メートル)の立派な十一面観音が造られ、その威容は『江戸名所図会』や夏目漱石三四郎』にも描かれました。しかし、本堂、庫裏、観音堂を全焼した昭和20年(1945)の大空襲で、観音様も焼失。それから観音様のいない時期が長く続きました。
平成5年(1993)、先代住職が、以前のものよりも少し小さい約6メートルの観音像を再建しました。それが現在ある観音様です。浄土宗寺院の本尊は阿弥陀様ですが、木造金箔の観音様で有名なお寺であったため、光源寺は親しみをこめて「駒込大観音(こまごめおおがんのん)」と呼ばれるようになったのです。
そんな光源寺の境内に、毎年7月9日、10日になると、にぎやかな市が立ちます。その名も「四万六千日ほおずき千成り市」。この日にお参りすると、四万六千日(=約126年!)分のご利益があるとされていることから、この名前がついたそうです。
江戸時代から続くこの縁日も、少子化などの影響を受けて段々とすたれてしまい、実は10年近く前に一度途絶えてしまいました。その年も、例年と同じように市が立つと思っていたのに、テキ屋が一軒も来なかったのです。
「よし。それなら自分たちで手作りの縁日をやろう!」そう一念発起したのが、22代目住職の島田昭博さんと、奥様の富士子さん。自分たちでほおずきの仕入れルートを調べたり、地元の方々に声をかけたりして、文字どおり「すべて手作り」の縁日を復活させたのです。初めは十数軒だった店も、年々増えて、食堂や縁台将棋、音楽ステージまであるにぎやかな縁日になりました。
フリーマーケットのように、ただ商売をすればいいという縁日じゃない。きちんと反省会をしたり、隣りあった人と連絡先を交換しあったりして、継続的に交流を持てるような場にしたい」と住職。「目指しているのは、この地域を、いざというときにみんなで助けあえるような、顔の見える場所にすることなんです」そう言って微笑むおふたりを、穏やかな表情を浮かべた観音様が静かに見守っておられました。 (青秋部I&N)

「四万六千日ほおずき千成り市」は、毎年7月9日、10日に開催。お手伝いしてくださる方を随時募集しています。詳しくはこちらをご覧ください。 

 
*光源寺 住職の愛読書
反日本人論』ロビン・ギル著 工作舎
「日本人独自の感性や習慣だと思っていることが、実は他の地域や民族でも行われている例を山ほど示した、「日本人のユニークさ」信仰を打ち破る400ページ。リンゴの木の根本に酒をかけるイギリスの農民、お墓の前に食べ物を供えるユーゴスラビアの習慣など、「人類は結構同じ感性を持っているんだ」ということを教えてくれた。思い込みに陥りがちな私の心の軌道修正に役立った1冊。」

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*光源寺
文京区向丘2−38−22
http://www.hpmix.com/home/kougenji/